「シュートピッチャーやったら当てて良いんか?」と怒りの収まらない岡田監督がヤクルト首脳陣と擁護派に踏み絵を迫る

 9月3日のヤクルト戦で近本が死球で途中交代を強いられた件で阪神の岡田監督が高津監督の釈明に怒りを再燃させています。

 高津監督は「山本はシュートが持ち球だから」との弁明で事態の沈静化を図っていますが、岡田監督は「シュートピッチャーやったら当てて良いんか」と反論して矛を収める様子はありません。

 踏み絵を迫られる形となった高津監督(や擁護派)が岡田監督の指摘に反論できないのであれば、嵐が過ぎ去るまで “サンドバッグ” として耐えるしかないでしょう。

 

シュートピッチャーなら当てても良いのか?

 岡田監督からの踏み絵に対し、高津監督を筆頭にしたヤクルト首脳陣(や擁護派)は『沈黙』を選択するしかないでしょう。

 「シュートピッチャーがインコースに投げるのは仕方ない」は反論内容がズレています。「当てても良いんかって聞いてるんや。質問すら理解できひんのか」と火に油を注ぐ結果になるだけです。

 「当てて良い」と言おうものなら世間からバッシングされるでしょう。また、この場合は他球団がヤクルトの打者への報復死球を与える口実になります。

 “シュートを武器にする西勇輝” は山田哲人や塩見泰隆に当てても免罪されますし、“シュートを投げている桐敷” が村上宗隆や長岡秀樹に当てても問題になりません。

 「当てるのはダメ」であるなら、近本に死球を “当てた後” のヤクルト首脳陣の対応が問題になります。阪神の首脳陣に謝意を伝えることもなく逃走したのですから、一連の行為が咎められることは避けられないでしょう。

 だから、『沈黙』するしか選択肢がないのです。

 

『高津理論』だと「 “カットボールを武器にする右投手” が左打者に当てても問題ない」と言える

 ちなみに『高津理論』を用いると、“カットボールを武器にする右投手” が左打者に当てても問題にはなりません。

 「(ビーズリーやブルワーは)持ち球がカットボールやからな。そこ(=左打者の身体)に行ってしまっただけや」との弁明が通用する根拠になるからです。

 「ノーコンピッチャーの制球力改善」ではなく「シュート習得による相手打者への恐怖の植え付け」を採っている高津臣吾監督や伊藤智仁コーチへの非難はここからが本番でしょう。

 監督・コーチ陣の育成能力不足を棚に上げて「投手が未熟だから」とフォローするヤクルト球団に対する非難の声も上がり続けることになると思います。